地方都市の百貨店が消滅のピンチ!?🏪  《かがわコラム》

今から10年以上まえの2000年代の半ば、百貨店の三越が郊外の大型商業施設へ出店していた時期がある。その10年前くらいから急速に拡大しえいた郊外型のショッピングセンターへの可能性に賭けたのである。

当時は日本最大規模の超大型の施設を展開していた三菱地所系とイオングループの合弁で展開する郊外型巨大ショッピングセンター(SC)「ダイヤモンドシティ」(現イオンモール)。そこに2核1モールタイプ、スーパージャスコと同じ建物内という立地で相次いで2店舗で営業を始めた。

2006年に1店舗目の東京都のむさし村山店を出店。マーケティングを誤り来店客層のニーズを充分読むことが出来ず、売上げが目標を下回り、早々と2009年には退店してしまった。2店舗目の宮城県の名取店は2007年の出店。地域の団塊ジュニアをうまく取り込み、順調な売上げを示したのは一年目だけでこちらも早々と2009年に撤退する大失敗となった。

一方の先進地であるアメリカの郊外型SCは三つのデパートが核店舗で入るような超大型モールは当たり前。世界最大のSCと言われるミネアポリスの「モールオブアメリカ」のように4つのデパート(ノードストローム・メーシーズ・ブルーミングデール・シアーズ)の間を、五百店を超える専門店が軒を連ねて結んでいるようなモールもある。とても1日では回りきれない。

こうした店に入ってみると、日本で言うところのデパ地下グルメなどはなく、まるでひとつのテナントに衣料品やリビング用品が中心となる売り場がある。デパートブランドの信頼感から年齢層も幅広いようだ。日本の百貨店ではこうした店舗の郊外化は非常に遅れており、今だに都心の駅前や繁華街立地がその大半だ。いや実験的に出店はしたものの、商品政策を誤り早々に撤退するという惨めな結果に陥った。それを反面にした戦略店舗はそれからはできずしまい。

「郊外×中心街」は見方を変えると「ショッピングセンター×デパート」

日本の百貨店はこぞって差別化を図るためにスーパーブランドショップの誘致に奔走している。しかしアメリカのモールはそうしたスーパーブランドも単独でモール内にテナント出店しているケースが多いため、おのずと百貨店各社は自社開発の商品・自社で責任を持って売場作りをしていかないと、専門店とは勝負をしていけないし生き残れないのだ。モール出店はまさに横並びの世界。

地方都市への出店が一服した感のある大型店は、ここのところ首都圏や東海圏、近畿圏で次々と新規のショッピングセンター計画を進行させており、地方に遅れて都会も時代は都心から郊外へとシフトチェンジ。特に出店が積極的なブランドは、三井不動産のららぽーとだろう。首都圏の郊外、国道16号線沿いが主戦場。

ここ5年だけでららぽーと湘南平塚、同名古屋みなとアクルス、同沼津、同愛知東郷をオープンしている。どれも店舗面積6万㎡を超える超弩級のショッピングモール。今一番旬で話題、最新の専門店が集合しているので集客力も半端ない。団塊ジュニア世代の買い物傾向は郊外に居住するのを好む人は、あえて都心まで買い物に行きたがらないという傾向も出ているそうで、益々郊外型SCの人気を裏付けるような結果も出ている。

対して老舗百貨店は本店重視に舵を切った。高島屋は日本橋店に300億円、伊勢丹は本店に150億円もの巨費を投じて改装。こんな資金があれば郊外型SCへの出店ならばいったい何店舗可能にするのか。とも思えるのだが、それでも都心の大型店にこだわり、格式にこだわる。

そこが日本らしいのだが、売上げが縮小傾向にある百貨店業界は、今、地方店舗を大なたを奮い、都心の大型店に勝負を掛ける。方針は一見すると横並びで執っているが方向転換をしないままで、いつまで経ってもマイナス傾向に歯止めがかからないばかりか、存在意義すら問われかねない状況になってしまった。頼みの綱のインバウンドはコロナ禍で全滅した。

現在、地方都市では県庁所在地クラスでも百貨店が今夏軒並み閉店となり、徳島市や福島市、大津市は百貨店を失ってしまった。かと言って代わりの企業が手を挙げる訳ではなく、このまま都心からデパートの火は消えてしまい、周辺の商店街にも人はいなくなるのだろうか?

「徳島そごう」は最後の年の年売上がそれでも120億円もあったのだが

その売上が次の年には閉店により蒸発してしまったという訳。いやイオンモールやゆめタウンに一部は流れている。

消え去るにはあまりにも惜しい数字。そのうち外商売上が約4割あったのだが、それをどこが代わりに獲るのか。後継テナントの「三越徳島」はサテライトと外商が中心の小型店だ。

やはり百貨店の看板なくして獲りに行くには難しい富裕層や老舗の地元企業を相手にしていかなければならない。そして何よりも徳島の若い人にとっては百貨店のある街の記憶がもう創られなくなってしまうことへの恐れ。百貨店業態はそういった意味においても存亡の危機にある。

まとめ

①三越百貨店は2000年代にイオンと組んで郊外型商業施設出店を実験的に行なった

②短期間に撤退に追い込まれた反動からか都心店に重心を移しインバウンドで失敗

③2010年代に入って、地方の県庁所在地の百貨店が相次いで退店に追い込まれている

④閉店により失ったそれまでの売上以上に、百貨店が無くした都市の気品や格、あこがれや親しみ

 例え規模は小さくても地方都市の中心部にある百貨店を存続していくことは、デパート文化の継承に絶対必要と思う。また都会部においては、若い層、ニューファミリーのライフスタイルには欠かすことのできない郊外の大型ショッピングモールに、新業態を開発してテナント出店をしておくことも、百貨店ブランドの今後にとっては必要ではないだろうか。そうしなければあと5年もすると東・名・阪・福・札の大都市の都心商圏でしか利用価値のない恐竜のような業態になってしまうのではと危惧する。松山三越のような地方都市に見合った規模へリニューアルした実験店舗に期待をしていきたい。

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