*四国と本州の間に「瀬戸大橋」があるありがたさ🌉*  《かがわコラム》

 地元香川に住む私達にとり、クルマか電車でこの橋を渡る機会がある時、さして印象にも残らなくなってしまっていた感のある「瀬戸大橋」であった。
それはすでに開通30年を経ていて、もはや日常の風景のひとつだったからに過ぎないのだが。しかし実際に橋の上を歩くと、一つの橋(実際には幾つもの橋の集合体)を渡るだけで、こんなにも距離を取って時間が掛かりその上に輝く海の景色を眺めながら、すばらしい景観を享受できるものだったのかと再認識をさせられるのだ。

画像1

20周年の開通記念でイベントに参加したことがあった。岡山側の鷲羽山のふもとで受付を済ませると、細い山道を登って、業務用のゲートから一時的にクルマが通らなくなっている瀬戸大橋上に立つ。参加者の多くは皆、笑顔で記念写真を撮ったり、楽しんでいる様子が印象的な光景。

そこからトンネルを抜けると、ようやく橋の上に出る。西側から鷲羽山方面へあっという間に「ブルーインパルス」がスモークを出しながら飛び去っていった。

反対側の車線には先に走り去ったジョギングランナー達が、燦々午後、折り返してきていてすれ違うたびに拍手と歓声が沸く。参加した人にとってはこの“瀬戸大橋”が、いかに素晴らしく身近で思い出に残る橋になっているかを実感したに違いない。クルマで走るとそんな感動は感じる間もない。

橋の上のウォークイベントは別世界の気持ち良さを感じる時間となった

全面通行止めは影響が大きく難しくても、智恵と工夫次第で大橋の魅力を生かしたイベントを考えて、地元をはじめ近隣に住む人が瀬戸大橋の存在を改めて確認する機会を毎年、設ける意義は決して小さくないと思った。
海上から瀬戸大橋を見上げるクルーズ船なども確かにすばらしい乗り物だが、帰りのJRの快速マリンライナーに乗車して、瀬戸大橋に差し掛かると車内放送が瀬戸大橋開通20周年に関する説明と、今までの利用のお礼をアナウンスしていたのを聞いた時に、初めてこの電車に乗った人にとってはこの景色は特別なものになるということも思い知ったのである。

東京などに出て行った人が郷里へ戻る時に、昔なら宇高連絡船で高松市街地の景色が見えた時に、今ならばJR瀬戸大橋線で瀬戸内海が見えてくると懐かしく感動に浸るという話を良く聞く。本州と四国との精神的な距離はあまり変わっていないのでは。架け橋としていつまでも活躍をして欲しいものだ。

私は30年前の架橋誕生記念ブリッジウォークにおいて、幸運にも橋の上を歩いた約10万人の中にはいなかったが、そのとき参加した人たちの胸中はいかばかりであったのだろうか。

 四国と本州の間をまさか自分の足で歩いて、渡れる日が来ることなど夢の夢物語だったはずなのだが、いまその主人公の一人になっているという胸の高鳴り、高揚感はきっと忘れられまい。前回参加してみて、その気分を少し味わえたような気がする。

スウェーデンのオーレスン橋との姉妹縁組を行った。橋が縁となり日本が抱える高齢化、少子化、教育水準の後退など、様々な面でお手本になるような政策を実行、実績を残す北欧圏に、四国は学ぶべき点が意外に多い気がすると感じている。この姉妹縁組をもっと良い機会にして民間交流、外交が活発になっていけば、草の根の親善や交流は意義がある。正に橋が取り持つ縁である。

海外で最も有名な橋と言えば、サンフランシスコのゴールデンゲートブリッジだが、地元の坂出市は橋が縁でこの世界的に有名な橋のある街との姉妹縁組を結んでいる。サンフランシスコ市対岸の「サウサリート」市は、美味しいシーフードを食べながらで、橋の風景を楽しむ人たちで週末は一杯だ。一度伺ったことがあるが何より橋そのものが街の景観にとけ込んでいると思った。

大橋のお膝元の坂出市内にこの世紀の大事業を肴に語り合えるスポットがあればいい

ゲートブリッジ自体はサンフランシスコと、北部エリアをつなぐ交通の大動脈として役割を担っている。一方でその街のかけがえのないシンボルになっていて、通勤客や日々の生活に欠かせない橋が、片や生活に潤いを与える癒しの橋ともなっている。サウサリート市と坂出市。あちらのほうが町は小さくとも、全米、世界から観光客が訪れその雰囲気を楽しんでいる姿は羨ましくもある。残念だが30年経ても瀬戸大橋の風景を楽しむ場所はあまりない。いや開通当時はあったのだが、そのうちに廃れてしまっている。

瀬戸大橋は明石海峡大橋と比べると、人口を多く抱える関西圏から遠いが故に、ドライブや都市観光のついでに渡るには遠すぎる。デザインは機能的で、無味乾燥。瀬戸内海の雄大な風景にとけ込んではいるが、あくまでも船の航海の支障にならないようになっている。
あまりに長く巨大すぎて、人間味に少し欠けるところがある。前述したオーレスン橋とは置かれた条件が近いようだ。片や別の国を結ぶ国境の橋ながら生活や産業には欠かせない橋に成長している。

 

老朽化が進行していく今、もう一度、橋の重要性と魅力を再認識すべき時

鉄道併用橋としての価値は瀬戸大橋の一番大きな特徴となっているが、可能性を残した道路橋としての活用策、そして観光橋としての二つの面をどう磨き、世界に冠たる長大橋としてのかけがえのない魅力の発信を見直していかねばならない。 瀬戸大橋と北欧の「オーレスン橋」との姉妹橋縁組みで、北欧というと何か遠いところのように感じる場所が、実は北回りの飛行機で行くと、ヨーロッパの中でも日本から一番近いエリアであることを知る機会にもなる。

ヘルシンキからは他の北欧の国へ行くのも簡単。空路はもちろん列車やフェリーを利用して、まるで隣の県に行くように移動することができる。瀬戸内海を航行するフェリーの数倍もあるような巨大なフェリー船内には、気軽に隣国へ用事に向かう人たちがいつも大勢乗り込んでいる。もちろん海外航路なのでショップ内の免税商品もお目当てのひとつで、皆お酒やたばこを沢山買い求めて自宅へ帰る。列車ごとフェリーに積む夜行列車などもある。

画像4

元々そうした国境を越えた交流が活発であった北欧諸国であるが、スウェーデンとデンマークが共同で出資し、それまでフェリーで結ばれていた両地域が、2000年に橋が出来て陸続きになったおかげで、欧州有数の経済圏へと発展したというのだ。

地元新聞でさえコペンハーゲン市のことを“住むには高くつくが世界で一番暮らしやすい都市”と評価しているといった経緯もあり、新たな橋の開通により結ばれた対岸のマルメ市には多くの住宅が建設され、収入の低い若者層を中心に勤務地はそのままで居住地を“隣国へ移住”する人が増え、はコペンハーゲン市のベッドタウンとなっているそうだ。

 

 「オーレスン橋」は瀬戸大橋同様に鉄道併用橋なので、コペンハーゲンとマルメを結ぶ路線はこうした国を跨いで通勤する人たちの通勤路線の性格を持つ。途中に「コペンハーゲン空港駅」があるおかげで、いきなり世界とも直結してしまった。

 (まとめ)こうして橋がひとつ出来たおかげで、マルメ市はスウェーデン南端のいち港湾都市としての歴史の中で、発展した造船業を中心とする産業構成から、飛躍的にベッドタウンに性格転換を図ることに成功した。この変遷のプロセス、背景を香川でもぜひ参考にこの世紀の大事業「瀬戸大橋」で参考にすれば、価値と役割を再認識するきっかけにすることができるのではないか。

タイトルとURLをコピーしました