【かがわコラム】本広監督が残した熱量をしっかり継承出来ているか? 《さぬき映画祭》

香川県に映画文化を定着したさぬき映画祭。秋開催を冬開催に変更し、毎回、会場はどこも熱気に包まれていた。なんといってもさぬき映画祭ディレクターとして就任した、地元が生んだ人気映画監督の本広克行さんの魅力が人を集めていたからだろう。

さぬき映画祭が始まった2006年には、誰がこれほどまでに充実した内容の映画祭が、この香川県で行われるようになると予想しただろう。

このところはそれまでより開催期間を短くしつつ、中身のギュッと詰まったとても内容の濃いものとなっていた。そして本広監督はと言えば、同時進行する複数の会場をはしごする活躍。どの会場でも必ず顔を出して司会進行に加わり、観客とのふれあいを行いながらとても熱心に映画祭全体のディレクターを行っていた。

本広氏にデレクションを要請した香川県も想像以上の奮闘ぶりに舌を巻いた。ご自分でも映画の祭典の企画と運営は、性に合っているとコメントされるほど、映画祭の企画・運営に惚れ込んだ。もし機会を頂けるならオリンピックの開会式のディレクターなどもやってみたいものですとも語っていた。

行政職ではない真の映画人が描いた地方発映画祭

これは単に業界人だからとか、さぬき出身者として地元への熱い想いが、だけで務まる訳ではない。映画監督としての何もないところから一つのモノを創り上げるという能力の高さ、自分が生きている映画界への熱い情熱、面白い映画とはこんな映画なのだという映画の面白い見方や後輩映画監督が作る映画へのエール。監督の強いメッセージが凝縮していることは、廻りの誰もが感じたことだ。

映画祭に向けて、香川へ頻繁に帰って来て、準備を進めておられる氏と映画祭の話を聞いた機会があったが、「踊る大捜査線シリーズ」同様、様々な要素を随所にちりばめながら、スタッフ全員で楽しんで映画祭を成功させようという、監督自身の強い思いを肌で感じ取ったのである。

本広氏に映画祭のデレクションを頼んだ香川県はクリーンヒットだ。本広監督の思うとおりに映画祭の息吹きは熱く鼓動へと蘇り、本広氏も当時は3年を掛けて腰を落ち着けながら取り組みたいと語っていたので、どこまで進化を遂げるのか興味が尽きないと思ったものだ。

映画祭のある街の軌跡

カンヌやベネチア、モントリオール、ベルリンなど、歴史的な開催都市はもとより、世界の主要な国の大都市では様々なスタイルで映画祭が開かれ、特に伝統のある映画祭ならば、そこで上映されるだけで、興業的に大きな後ろ盾を受ける別格の存在となるだけに、本国で話題になる前に出品作品となる。日本国内で見ると、映画産業の発展よりは、地域活性化の側面、映画館が少なくなった地方におけるスクリーンに掛からない映画の上映など、映画を地域振興のコンテンツのひとつとして生かしてきた。

ジャンルごとや短編、長編など細かく細分化された映画祭が多い中で、「さぬき」にこだわった内容に特化。地元出身でさぬき映画祭が産んだ香西監督の映画や、高松市美術館での展覧会を舞台にロケを行った作品や、香川ロケの喜劇など近年でも多彩なラインアップ。ゲスト上映では香川ゆかりの映画関係者を招いた上映会など、他のどこにもない企画が満載されていた。

地方の小さな町で始まった映画祭が世界に名声を轟かせた

1990年に始まった北海道「ゆうばりファンタスティック映画祭」などは、日本における地域活性化映画祭の先駆けとして、世界の面白い映画を発信し次第にファンに認知された。そこでは世界から訪れた映画人が夜な夜な町の居酒屋などに繰り出して、地元の人達と映画談義に華が咲く光景が随所に展開される。夕張市が財政破綻をした時も、強力な存続をのぞむ民間の声が後押しし、その後も行われている。

さぬき映画祭も地域全体で支援し、民間の活力で行政がサポートする形で、映画の祭典をこの時期の風物詩としていけたらいい。なによりさぬき映画祭をきっかけにして、映画の世界に入ったさぬき出身の映画人が今後も更に増えてくることが、人材づくりの面で何よりの活力になることだろう。

映画はそのとき時の風俗や風習、景色が映像に刻まれる。そして映像資料として後世に残るものだ。その価値は思った以上に高いものがある。香川県の宝“アート県かがわ”にまたひとつ“シネマ”という宝が加わり、文化度を上げる一助になってきた。

商業的な大作から国際的な映画、インディーズ、アニメ、ドキュメンタリー映画、そして映画制作を志す人に向けた様々なイベント。これだけ揃った地域映画祭はあまりないのではないか。文字通り本広監督曰く「西日本最大規模の映画祭を目指す」祭典に近づいた。本広監督の意志を受けてあとは地元の観客である私達がしっかり盛り上げていきながら、日本の映画監督や俳優陣の誰もが、「ぜひさぬき映画祭に参加させて欲しい」と言ってもらうものにしていけたらいい。コロナ禍で映画界は大変な状況が訪れたが、ここは復活を信じて応援をしていきたい。

高松市は“映画の都”としてまた新しい顔を持つまでになった。そして何時の日か、また本広氏にさぬき映画祭に戻ってきてもらい、熱き情熱の魂を吹き込んでもらいたいものである。

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