フェリー銀座と呼ばれたかつての瀬戸内海。いま存廃危機にある瀬戸内のフェリー事情⛴  《かがわコラム》

 “航路の活性化を狙い、海外製の高価な高速フェリーをあえて投入するという積極策を執った上に、立て続けに同型船の2隻目が就航したばかりで突然の航路そのものからの撤退が告げられた!”

 

こんなあってはならないような事態が実際に2010年代、青森と函館を結ぶ青函航路で起こったのである。運航していた東日本フェリーが経営再建に陥ったため、「リベラ」という広島の会社が経営立て直しを狙い、新生「東日本フェリー」としてわざわざオーストラリアの造船所(ここが発売元)で建造して、はるばる日本まで持ってきた世界最大級の大型高速フェリー「なっちゃん」号がそれ。当然ながら地元では注目を浴びた。

就航していた頃の函館港となっちゃん

 

未来的なかっこいい外観(ちなみにこのカラーリングは公募で当選した小学生のデザイン)と、外洋の荒天でも高速走行が可能という日本で運航中のフェリー航路の中で、最も新しく最高性能を誇っていたフェリー業界のスーパースター2隻の誕生であった。ちなみにこのモデルは製造メーカーとしても最大規模となるモデルとして開発された一番船と二番船。

客室内には航空機同様にキャビンアテンダントがおもてなしする快適な船旅を演出。でありながら大型トラックを何十台も積んで高速航走し北海道と本州を結ぶ、何もかもがうまくいくかに思えた。しかしあえなく身売りの憂き目に遭った悲運の船となってしまった。

当時、この船の就航を知り、どうしても乗りに行きたいと思った私としては、あまりにも早い航路撤退を悲しく思ったひとりである。特に二隻目は就航たった半年で航路撤退をせざるを得ないという短期間であった。夢と希望を持ち新船のクルーとして採用された若人達の無念は如何ばかりであっただろう。

桟橋から船まで全く新しくするのに掛かった経費を考えると無謀な賭け

同時にこの船に合うように作り替えたラウンジなどを備えた、函館と青森で異なるデザインの洗練された発着ターミナルビルも、建築したのだがあっという間の高速船運休で無駄になってしまった。一気に投資をしすぎて過大投資に耐えきれなかった。経営ミスと言ってしまえばそれまでだが、当時は急な原油価格の高騰というイレギュラーな事態が襲ったことも影響した。

前事業者による経営の行き詰まりで一旦は航路存続の危機に見舞われ、もはや航路廃止かと思われた矢先に、救世主のようにして誕生した新会社が、心機一転で、なんと新型フェリーを航路に導入するという積極経営策で速達化された二地点の地元の注目や期待は如何ばかりであったろう。

函館港ターミナル(現津軽海峡フェリー)

 

本州と北海道の間を結ぶ幾つかのフェリー航路の中でも話題性抜群。本州と北海道の間に道路トンネルがない環境で、北海道への本州からのマイカーによる観光客は必然的に本州のどこかの港からフェリーを利用しないと北海道へ渡れない。新船効果も手伝い、利用者が増えていく中、周辺エリアの経済にも追い風となっていった。そして運航時間の短縮化で往復出来る回数が増えることによる増収も図っていこうとした矢先に、予期しなかった原油高が直撃した格好である。しかし実態は業務用の大型トラック輸送には航走運賃の高さから、この船を使うところは少なく普通車ばかりの利用では運賃が取れない。

それくらい高速船はもともと燃料をたいへん使うため、常に変動する原油市場の影響を受けやすい性質を持っておりすぐには原油高への対応はできない。最高速度を少し抑え気味にしてエコ速度を維持する程度。ではなぜそれにもかかわらず、巨大で高価な高速フェリーを一気に2隻も建造したのかという経営判断は今から思うと謎だが、客席にはファーストクラスなどの3グレードを導入するなど、車輌輸送の運賃だけでなく航空機の発想による高単価による旅客収入も当てにしていたようだが、当然ながらどちらも計画を下回ったことが大きかったようだ。

この無謀とも言える設備投資の代償はやはり大きかった

結局、同社が運航していた航路のうち、青森県大間と函館を最短で結ぶフェリー便については、地元の財政支援で別会社に航路が引き継がれた。青森と函館間は鉄道トンネルはあっても、トラック物流の面での太いパイプはフェリーが主役なのであった。

車はフェリーを使わなければ本州と北海道の間は行き来が出来ないという事情は、四国や九州と本州間とは異なる絶対条件だ。しかし東北・北海道の地方自治体は財政力が弱く官がどこまで民を支えきれるかは未知数だろう。

さて、瀬戸内航路も例外ではない。

すでに新造船投入は関西・東京と九州を結ぶ長距離フェリーのみとなった。本州と四国を結ぶフェリー便は、便数の多さから見ると松山港と広島港・柳井港を結ぶ航路がまともに残っている程度。高松東港と神戸港を結ぶジャンボフェリーや愛媛県東予港・新居浜港と大阪・神戸港を結ぶ四国開発フェリーが大きな船で運航されている程度。あとは瀬戸内海の離島と対岸を結ぶ生活航路が中心、香川県内では小豆島・直島便が中心で、県内外の離島航路と本州四国連絡航路は本州と四国間の架橋建設と相前後して、相次いで航路の廃止や減便が行われている。

特に“国道フェリー”の名の下に本州と四国を最短距離で結ぶ多頻度のフェリー便は壊滅状態に近い。

 

 2010年からは香川県の島嶼部を中心とした瀬戸内の島と宇野、高松で国際芸術祭が開催されていて、島との人の往来は活発になり活性化に大きく寄与している。しかし道路以外での本州との連絡手段がおぼつかないと観光客の集客には影響がある。それまでは普通にたどれたルートが使えない、トラック便などの物流ルートの確保など、国は陸上輸送業者や漁業従事者に関しては何かと面倒を見るが、どうも海上輸送には冷たいような感じに映る。

先日は小豆島の草壁港を母港とする内海フェリーが新造船の建造による過大投資に耐えきれずに近隣の池田港を母港とする同業社に航路を売却。買収先は草壁港と池田港の航路を統合して池田港に集約をしてしまった。新造船の行方は如何に。結果的にこの船が航路の行方を左右してしまった。

内海フェリー運航休止の引き金ともなった新造船「ブルーライン」の先代(三代目)がモデル

海に囲まれた島国日本で海上交通は欠かせない足。本州と四国間には架橋があるので、フェリー航路存続には条件的に難しいケースであるが、せめて離島対策には最善を尽くしていかないと暮らす人はますます減ってしまうだろう。

⛴⛴⛴⛴⛴⛴⛴⛴⛴⛴⛴⛴⛴⛴⛴⛴⛴⛴⛴⛴⛴⛴⛴⛴⛴⛴⛴⛴⛴⛴⛴⛴⛴⛴⛴⛴⛴

(まとめ)

 なっちゃんはその後、一隻は台湾の企業に売却され台湾海峡を航行、もう一隻はPFI事業船として、貸し船専門として主に防衛省にチャーターされ有事や災害時に自衛隊の装備と隊員を載せて、目的地まで特急で向かうという役目。時々私たちの前に現れるたびにSNSなどで話題に上る。台湾に渡った船もカラーリングは当時のままでファンを喜ばしている。

 それ以外は別の航路の代船として運航することもなく岸壁に係船されているようだ。客席のシートは取り外され、隊員乗船時は床に寝ることができるようにフラット化されているためである。瀬戸内海のフェリーも船自体を自治体や国が持ち、用船による公設民営化する案はあるが、実際には航路によって船の装備や大きさも異なるため難しい面があるようだ。

小豆島の例から見ても、現在運航中のフェリーが老朽化した際に新船をどうするかという問題に直面。航路の廃止か存続かで地元との折衝が難航するケース、新船を造ってはみたものの投資負担に耐えきれずに休止となるケースなど、今後更なる航路の休止が出てくる危険性が高い。

タイトルとURLをコピーしました