香川県民にとって“高松砂漠”はすでに過去の話なのか?🚰     《かがわコラム》

今年も7月に入り梅雨末期の大雨が各地で頻発している。一方でつい最近までは当地の気候が空梅雨傾向であったため、気象庁はこの時期に「少雨に関する気象情報」を発表し、西日本エリアの水不足の懸念を示していたが、よく考えると全く異なった現象が出てくるようになったようである。特に春先から少雨傾向が止まらないシーズンなどは状況として香川県民には厳しいシーズンとなってくる。

近年、香川県には瀬戸内国際芸術祭で世界中から観光客が来県するようになった。しかしもともと瀬戸内の島には水源がほとんどないところが多い。もし会期中に会場内のホテルや飲食店で水不足から営業自粛などになったら、その影響は計り知れないだろう。今年のように梅雨時期までが空梅雨等で大幅に降雨が遅れると、被害にはなって欲しくないが1回大雨が来てくれてもいいなどと考える。

香川県に住んだら節水に対する具体的な意識を持つことを肝に銘じる義務が生じる

地球温暖化が叫ばれるようになった近年、こうした夏はたびたびあったが、ギリギリのところで8月以降に突如日本近海に現れる台風が、四国に接近したり時には上陸するなどの“神風”が吹いて、結果、早明浦ダムなどの香川県が頼りとする大きな水源地に一晩で大雨が降る。結果、一息つくという年が案外多かったように思う。“のど元過ぎれば〜”でせっかく節水の意識が高まっても、いつの間にかその雰囲気もどこへやら。

是非、うどん県民は一度、三豊市財田町にある「香川用水記念公園」や“平成のまんのう池”として造られた「宝山湖」を訪れて、先人達の水との果てしなき戦いの苦労に触れて欲しい。もちろん県内の小学生達はいずれの小学校の中学年の授業では、必ず香川の水の学習はしているので、子供達ほうほうが香川の水開拓に詳しい。伝道師になり、家庭での意識付けに約立っているのは言うまでもない。

 

国内の節水型都市の代表は福岡市が有名

1978年の記録的な渇水を経験、その教訓を生かしたまちづくりに取り組んだ。当時は一日の給水時間はわずか5時間、取水制限が約1年近くに及ぶという正に“苦闘の水不足の歴史”は二度と経験したくないと思っているシニア世代も多いのだ。

そこで福岡市では条例にて積極的に節水を推進した。一定規模の建物には再生水の利用を義務づけた。また浄水場から各家庭や職場の蛇口までの水の流れを徹底的に監視することで、漏水率を限りなく低くした。豊富な海水の淡水化プラントの設置まで行う他、新たな水源となるダム開発と平行して、それこそ考え得る様々な手を打ってきたのである。

香川県と同様に水道料金が高いのは致し方ないところだが、貴重な水を大事に届けていくことは、老朽化が進む水道設備の維持改修がいかに大事であるかを物語る。福岡のこうした取組は海外で水不足に悩む国にも響き、こうしたノウハウをそうした国へ輸出提供するまでになっているという。

再生水の利用や漏水対策を進め、県外の水源からいただく水を、大事に使う意識を県民運動として県民一人ひとりまで高めていくことは香川県民のいわば責務。県外から香川県を訪れた人が、一目瞭然、香川県は“節水浸透県”であることがわかるように、節水意識を日常にしていかないといけないのではあるまいか。香川県民には問われていると言えよう。

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香川県は戦略的に水源確保を進めた結果、県民に楽観ムードが漂っていないか?

1973年の高松市では、約2ヶ月間にわたって断水が続くという“高松砂漠”が起こった。当時はまだ香川用水は開通しておらず、急遽、まんのう池の水を高松に運んで急場を凌いだという。その当時に比べると、現在ではウォーターサーバーが設置されている家庭や職場が増えているのは大きな変化であろう。水が欲しければ手元に美味しい水がいつでもある夢のような生活に危機感は薄れた。

 

早明浦ダムの貯水機能がフルに生かされるケースも減っているそうだ。それでも断水無しで乗り切れる年が増えているのは事実。それは電源開発が発電用に水利権を持つ貯水を使えるようにした他、更に底に溜まる「底水」と呼ばれる水の利用にまで手を伸ばし、難局を乗り切った。まさに使えるだけ使い、それでもダメな時には宝山湖に頼る。当時とは違い各種の保険が効いているだけだ。

企業の誘致の際にも水資源の豊富さは重要な進出条件となってくる。工業用水に使用する水の約3割は上水道に頼っているだけに、地域経済への影響も考慮する意味で、“節水県かがわ”を目指していきたいものである。

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