地方都市の元気になる素とは?コンパクトシティを考える。🏤  《かがわコラム》

県庁所在地などの地方中核市を国土均等化の柱に据える

今から10年ほど前「まちなか元気サミット・地域振興フォーラム」が高松市で開催された。
国が目指す「中心市街地活性化基本計画」のおいて大臣認定を目指す、または認定を受けた全国の地方都市の関係者や地域活性化の専門家、市民など多数が参加する有意義なもの。登壇した自治体は高松市の他にも富山市や岐阜市などの県庁所在地。

地方中核都市が都会からの移住先になりうる第一次の受け入れ先としていく。都会からの移住を実際にやってみると、いきなり町や村に居を構えても、コミュニティにうまく入れずに都会へ舞い戻る。そんな例が多く出ているという。
そこで地方の中核的な都市をワンクッション置くことで、都会的な暮らしにも触れられる。地方への人口の転移を進めたい国として、地方の中核市の魅力向上は国土の均等発展のキモとなっていると言えよう。このことに異論はない。

コンパクトシティ化は人口減少社会のローカル都市では必須条件

商業や公共施設の郊外移転や道路網の整備につれて、居住人口もスプロール化し市街地が拡散しつつある現状に危機感を覚え、様々な規模の都市で“コンパクトシティ”を標榜しはじめている。

しかし現実では市街地に目をやるとシャッター通り化しつつある商店街。生徒減で廃校に追い込まれる市街地にある小学校。歴史ある街の顔が徐々にくずれて行く姿はいまや、どこの街にも見られる光景となっている。

筆者の好きな京都市でも中心部の小学校がホテルに変遷していくケースを多く目にする。そうした問題に敢然と立ち向かい、国に頼らずに自分たちで街中の再生に、意欲的に取り組み始めた全国の関係者が、この時の高松市に集まったことは後から思うと意義深い事であったように思う。

人口規模は高松市とほぼ同じの富山市はコンパクトシティの先進地

高松丸亀町商店街の再開発計画はひとつの成功モデル

なぜ一地方都市の高松市だったのか?いまや全国から見学者が多く訪れる高松丸亀町商店街の再開発ビルが人を惹きつけ始めていた。この先進的な事例を目の当たりにする事で、自分たちの街にも何かを持って帰ろうという目的。共に共通の課題意識を持った仲間たち。

青森市富山市岐阜市といった高松市と同規模の同じような悩みを抱えながらも、問題解決への独自の取組みを始め、地域力の向上を図っている都市の市長が出席しての、意見交換会は得るものも大きかったに違いない。

中でも降雪地帯と人口の郊外流出に悩み、否応なくコンパクトシティ化への道を走り始めている、青森市と富山市の施策は当時でもかなり進んでいた。ともに整備新幹線の開通を間近に控えていた。ストロー現象も危惧されるなかで、独自の街づくりを目標に据えざるを得なかったという面もあるはずだ。

鉄軌道とバスの有機的なつながりで、中心部への足を確保

その中心部には商業施設や公共施設、住宅などが入る複合施設の誘致を計画的に進め、高齢化が進む地方中核都市において、都心定住促進や高齢者が気軽に外出するきっかけづくりに、力を入れることで市街地活性化を目論む。三位一体の改革で地方公共サービスへのコスト低減は至上命題であろう。

コンパクトシティの代名詞となっている富山市では、クルマに頼らず暮らせる環境づくりを徹底し、公共交通の整備に全力を挙げる。富山ライトレールや市電の環状線化、JR高山本線の増便事業など、市が積極的に交通体系の抜本的見直しに係わっており、高松市などと比べてもよりより戦略的だ。簡単に参考には出来ないが、高松市の変化のスピードには少々遅く感じる。

 高松市の大西市長もそうした事例に刺激を受けるかのように、一時は本気にLRT(ライトレールトランジット)の導入に向けた検討を指示するなど前向きの発言をされていた。コンパクトシティと公共交通の問題は一体的な取組。ことでんやJRを巻き込んでの先を見据えた建設的な議論がいま改めて求められている。

 富山市がコンパクトシティの切り札で活用したLRT

(まとめ)コンパクトシティに舵を切ること約10年。鉄道駅周辺に都市機能を集約させて、人口を集中していくことで、無尽蔵に広がる都市化を防いでいく事がその中心的な施策。

高松市ではことでん琴平線の高架複線化工事が最終段階を迎えていて、すでに新駅の整備も一つ行われた。この駅を起点にした定期バス路線の再編も行われる。この変化をまちづくりに生かしていく施策が、高松市のコンパクトシティのキモ。

高松市みんなの病院の仏生山駅周辺への移転から始まった、高松市南部の副都心計画も未だ進展している姿は見通せず。太田〜仏生山駅間の新駅と複線化が完成する頃には、ある程度、高松市南部のまちづくりが形になっていて欲しい。

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